翻訳と辞書
Words near each other
・ マルグリット・ド・ダンピエール
・ マルグリット・ド・ナバール
・ マルグリット・ド・ナヴァル
・ マルグリット・ド・ナヴァール
・ マルグリット・ド・バヴィエール
・ マルグリット・ド・フォワ
・ マルグリット・ド・フランス
・ マルグリット・ド・フランス (1158-1197)
・ マルグリット・ド・フランス (1523-1574)
・ マルグリット・ド・ブルゴーニュ
マルグリット・ド・ブルゴーニュ (1374-1441)
・ マルグリット・ド・ブルゴーニュ (1393-1442)
・ マルグリット・ド・ブルゴーニュ (フランス王妃)
・ マルグリット・ド・ブルターニュ
・ マルグリット・ド・ブルボン
・ マルグリット・ド・ブルボン (1438-1483)
・ マルグリット・ド・プロヴァンス
・ マルグリット・ド・ロレーヌ
・ マルグリット・ド・ロレーヌ (1463-1521)
・ マルグリット・ド・ロレーヌ (1615-1672)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

マルグリット・ド・ブルゴーニュ (1374-1441) : ミニ英和和英辞書
マルグリット・ド・ブルゴーニュ (1374-1441)[しじゅうし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マルグリット・ド・ブルゴーニュ (1374-1441) : ウィキペディア日本語版
マルグリット・ド・ブルゴーニュ (1374-1441)[しじゅうし]

マルグリット・ド・ブルゴーニュMarguerite de Bourgogne, 1374年10月16日 モンバール - 1441年3月8日 )は、ブルゴーニュ公フィリップ・ル・アルディとその妻のフランドル女伯マルグリット3世の間の長女で、バイエルン公ヴィルヘルム2世の妻。
ブルゴーニュ公爵夫妻の第3子、長女として生まれた。兄のジャン・サン・プールはブルゴーニュ公、次弟アントワーヌブラバント公、末弟フィリップはヌヴェール伯およびルテル伯である。妹カトリーヌはオーストリア公レオポルト4世の妻、別の妹マリーはサヴォイア伯アメデオ8世(対立教皇フェリクス5世)の妻となった。
1385年4月12日にカンブレーにおいて、バイエルン=シュトラウビンク公アルブレヒト1世の長男ヴィルヘルム(2世)と結婚した。ヴィルヘルムはエノーホラントゼーラントの3つの伯爵領の相続者であった。マルグリットの兄ジャン・サン・プールとヴィルヘルムの姉マルガレーテも一緒に結婚式を挙げた。このカンブレー二重結婚は、後にブルゴーニュ公爵家がエノー、ホラント、ゼーラントの3伯爵領を自領に組み込むための布石となった。
マルグリットは夫ヴィルヘルムの領国経営に深く関与した。ヴィルヘルムはホラント伯領で暮らすのを好んでエノーには滅多に姿を現さなかったため、妻であるマルグリットがエノー伯領の摂政を務めていた 。公爵夫妻は結婚後16年目に一人娘ジャクリーヌ(1401年 - 1436年)に恵まれた。1410年以降、マルグリットの政治的地位はより高まり、いくつかの都市や城が彼女の私領(封土)となった。
1417年の夫の死後も、娘ジャクリーヌが相続した3伯爵領で一定の政治的役割を果たした。隠居所としてル・ケノワの城に住むのを好み、1441年にこの城で没した。
== 脚注 ==




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マルグリット・ド・ブルゴーニュ (1374-1441)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.